追悼 ジャン・クロード・オリビエ氏


自分は小、中、高校時代、背が低くて虚弱体質でした。月に何日か、必ずと言って良いほど猛烈な偏頭痛に悩まされていました。浪人時代に急に背が伸び、人並みになり頭痛に悩まされる事は減ったものの、体力的な不安は常に付きまとっていました。バイクが好きになってすぐにGPには夢中になりました。

でもそれ以上にスゴイと思っていたのは過酷なラリーレイドを何日にも渡って戦うオフロードライダー達でした。自分には不可能だと思える冒険に挑む彼らの姿は最高に眩しいモノでした。自分にとってパリダカールラリーと言う言葉の響きは、単なるオフロードレースではなく、地平線まで続く砂漠をどこまでも走って行く、永遠の憧れを内包した特別なレースでした。ですからそうした舞台に果敢にチャレンジするジャン・クロード・オリビエ選手も、尊敬するライダーの一人だったのです。

ある時バイク乗りの友人が起業し事業が順調に推移して、上場することになりました。その頃に彼と飲みに行った時に興味深い話を聞きました。日本では上場するにあたってバイクを降りなければならないかもしれないと言うのです。上場の基準・審査が非常に厳しく、経営者がバイクを乗ると言う事がリスクと捉えられ上場が難しくなるかもしれないと言うのです。その時に彼が名前を挙げたのがジャン・クロード・オリビエ氏でした。海外、EU圏では経営トップがバイクに乗ったりレースにエントリーしているとチャレンジングな経営者であり企業であると、むしろプラス評価が為されると言う話でした。自分達の場合は、そうした事が逆にマイナスポイントになってしまうのを嘆いていました。……とは言え責任あるいち企業のトップが、パリダカールの様な過酷なラリーレイドに参戦するのは、やっぱりスゴイチャレンジスピリッツを持った素敵な事だと言うのが、自分達の共通認識でした。

そしてそしてジャン・クロード・オリビエ氏は自身のオフロードレースのみならず、あのゴロワーズブルーを纏ってGP界や耐久ロードレースにも多くのライダーに門戸を開いていました。ゴロワーズカラーはオフだけでなくオンでも燦然とした輝きを放っていました。クリスチャン・サロン選手やジャン・フィリップ・ルジャ選手らの活躍はジャン・クロード・オリビエ氏率いるYAMAHA MOTOR FURANCEあってのものであり、SONAUTOの名もまた自分達にとって最高にカッコいい響きをもっているのです。そうした強い思いや憧れは、自分が人生を歩むうえでも大きな影響をうけました。十代の頃からリスペクトして来た多くのライダー達がいなければ、まるで異なる道を歩んでいたと思います。
You Tube>YAMAHA TÉNÉRÉ DAKAR, La collection de Jean Claude Olivier, le patron de Yamaha Motor France
よりによってダカールラリー開催期間中に自国フランスの公道で、しかも対向車線からはみ出してきたクルマと衝突と言う痛ましい事故、同乗していた妊娠中の娘さんが無事だと言うのがせめてもの救いです。謹んでジャン・クロード・オリビエ氏のご冥福をお祈りします。またオリビエ氏のご家族、ご関係者の皆様に心からお悔やみ申し上げます。ライダーの訃報を伝えるのはいつどんな時でもそうなのですが、非常に残念でなりません。
YAMAHA COMMUNITY
RIP JOC
- 関連記事
-
- 訃報マッシモ・タンブリーニ氏逝去 (2014/04/08)
- ストーブリーグの楽しみ方MotoGP™ Classics (2014/02/03)
- 輝ける世界GP 500cc時代 (2013/10/07)
- From Isle of Man (2013/05/31)
- 追悼 ありがとう松下さん (2013/05/29)
- 訃報 松下ヨシナリ選手マン島にて逝去 (2013/05/28)
- #74 Daijiro Kato (2013/04/21)
- THE MOST WONDERFUL SPORTS (2013/04/08)
- 究極のGPマシン NSR500 (2013/04/06)
- 勇気をもらえた1枚の写真 (2013/04/01)
- WGP三銃士 (2013/03/21)
- Being a Rider(s)…ケニー・ロバーツ選手 (2013/03/20)
- 追悼 ジャン・クロード・オリビエ氏 (2013/01/16)
- 追悼 マルコ・シモンチェリ選手 (2011/10/23)
- 憧れのヒーロー達 (2011/05/27)